日記
いつでも、どこでも生活を共有
さっき面白そうなアニメを見つけたので観てみた。感想は、考え方が合わない。病んでいるなら、まず治療したほうがいい。『記憶管理局』 正直なところ、作画はかなり良いし、音楽も悪くない(映像との噛み合いはいまひとつだったけど)。ただ、根底にある思想には特に目新しさがなく、描かれている考え方もあまりに薄っぺらく感じた。相も変わらず幼少期のガキ大将、相も変わらずの校内暴力、相も変わらずの生まれ育った家庭。中国大陸におけるトラウマは、どれも判で押したように同じなのだろうか。。 正直なところ、自分が今ここにいるからこそ言えるのだが、自分では解決できない問題があるのなら、なぜその問題のない別の場所へ行って成長しようとしないのだろう。世界は想像するほど広大ではないが、かといって一人の人間をその場に釘付けにするほど狭くもない。問題があるなら解決すればいい。解決できないなら距離を置き、自分が成長して向き合えるようになったときに、改めて解決すればいい。 人の存在意義は、自分がここに存在しているというだけで、すでにそこにある。そして自分が持っているのは過去でも未来でもなく、自分自身の手で実際に創り出している現在だ。隅にうずくまって、未来がどれほど素晴らしく、無数の可能性に満ちているかを空想するよりも、覚悟を決めて自分自身と向き合い、ある一つの未来のために、ほかの未来の可能性を手放す責任を引き受け、今この瞬間に一歩を踏み出したほうがいい。そうして初めて、空想は現実になる。 要するに、感想は、考え方が合わない。病んでいるなら、まず治療することを勧める。
よく考えてみると、今の自分はようやく本当の意味で、自分自身を探求する次の一歩を踏み出したところなのだと思う。自分は誰なのか、自分は誰になれるのか、自分は誰になるべきなのか。頭の中から思考へ、行動への渇望へ、そして変化し始めた現実があふれ出すまで。私は、自分という存在を深く実感し始めている。
最近、フローを重視する意識とストックを重視する意識の違いに少し気づいた。安定した給与は安定した収入をもたらしてくれるが、その一方で、人の思考をその収入に見合った支出水準などに縛りつけてしまうこともある。安定した収入は心を安定させるものとして捉えるべきであり、そのために自分の行動範囲まで制限してしまうべきではない。今のようなバブルの時代にも、まだ稼げるホットマネーはたくさんある。手元に一つ収入源があるからといって、別の収入を手放す理由はない。
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