今日はようやく『さくら、もゆ。』を最後までプレイし終えた~
2020年6月に未翻訳の原版に食らいつき、21年9月に一度諦めてから再び最初からやり直し、そして22年の今、中国語化パッチが公開されたことで、ついに完走できた。『さくら、もゆ。』はD.C.シリーズと同じように、長いあいだ自分に寄り添い、興味津々だった頃から、おざなりに切り上げてしまった頃、そして中国語化をきっかけに再び熱がよみがえり、最後まできちんと遊び切るまでを見届けてくれた作品だと言える。
けれど、『さくら、もゆ。』をプレイした体験をあえて言葉にするなら、感触そのものは良かったものの、現実の生活に何度も揉まれるうちに気力を失い、最後には手放すことを選んだ、というものだった。今回の中国語化パッチは、まさにその気持ちを燃え上がらせる助燃剤だった。過去に塗り残した漆黒を、もう一度純白に塗り替えたいという思いも重なり、今日、ようやくやり遂げることができた。そういう意味で、自分は『さくら、もゆ。』に感謝している。過去の残滓を少しでも取り除けるのは、いつだって心地よいものだ。そして、心が揺れ動きながらも沈み込んでいたこの時期にこの作品と出会い、もう一度ほんの少し夢に火を灯してもらえたことは、本当に幸運だったと思う。
今回の雪人には、以前の「いろとりどり」シリーズと比べてかなりの進歩が感じられた。一方で、人生を記した本を収める図書館としての「夜の国」など、「いろとりどり」での着想から生まれた幻想も数多く見て取れる。同時に、現実の裏側できらきらと輝く「夜の国」のような、まったく新しい設定も多く、雪人のマザコン性癖まで見せつけられた(笑)。

『さくら、もゆ。』全編を通して見れば、一曲の『さくら、もゆ』が最初から最後まで作品を貫き、そこに込められた感情を背負っていたと言える。夢と希望に満ち、時を越えて、未来ではもう会うことのできない人へ、生涯ただ一人だけを愛する、届くはずのない恋心を伝えようとする歌だ。桜のように優しく、そして桜のように激しい。やがてこの歌は遥かな未来へ届き、未来と過去をつなぐ鍵となった。もしかすると、多くの孤独な人々の心に宿る英雄にもなったのかもしれない。ハルも、あるいは「奏 大雅」も。
最後には夜の王が救われ、誰もがハッピーエンドを迎えた。確かに「奏 大雅」の呼びかけに応じて集まった者たちによる救援や助けもあった。けれど、それ以上に大きかったのは、彼が――彼らが――人生でもっとも希望に満ちていた時へと連れ戻されたとき、その胸の内にあふれた希望だったのだと思う。最後にたどり着いたハッピーエンドは、決して誰かに与えられたものではなく、自ら求めた末に得た結果だったはずだ。もっとも、雪人は相変わらずクロをいじめ抜いていたけれど(雪人の日常ww)。
そして何より、夜の国にいる不思議な生き物たちが自分にもたらした衝撃は、さらに大きかったのかもしれない。千和をわが子のように慈しんだナハト、自らを犠牲にして姫織をこの世へ送り出し、最後にその背中を押したナナ(姫織の母)、残酷な死を選んだことの影から主人公を連れ出し、最後には彼らの幸せのために命を差し出したあさひ姉と十夜。そして主人公に寄り添ったクロと、主人公に自らの願いを重ね、その彼を傷つけた償いとして『夜の女王』になることを選んだましろ。無限とも思える命の中で、ほんの一瞬だけ鮮やかに咲く。彼らの行動は自分に大きな衝撃を与え、知らず知らずのうちに沈黙したままだった心へ、わずかな希望と前へ進む力を与えてくれた。「少しくらい夢を持ってもいいのかもしれない」「そんな生き方が自分にもできるのかもしれない」と、もう一度思わせてくれたのだ。ただひたすら金や利益、あるいは「生存」だけを追い求めるのではなく。人はいつだって、少しくらい衝動的なものだろう。今ここに芽生えた新しい自分が書き留めたこの空想が、いつか未来の君に、ほんの少しでも生きていく力を呼び起こしてくれたらいい。
ここまで書いてみると、『さくら、もゆ。』の物語について語っているというより、プレイ中に抱いた自分自身の妄想ばかりを綴っている気がする。これも、自分が初めてプレイ体験を言葉にした証しになるのだろうか? ともあれ、『さくら、もゆ。』が素晴らしいゲームであることは間違いない。FAVORITE信者としての自分にとっても、一人の普通のギャルゲープレイヤーとしての自分にとっても。もっと多くの人がこの作品を好きになってくれたなら、きっと素敵なことだろう(ところでFDはいつ出るんですかww)。
語るのはここまで。最後に、自分が神曲と呼びたい『輪廻』を添えて締めくくろうと思うw。
「あなたのこれからの未来にも、幸せの魔法が寄り添っていますように」
この記事が役に立ったときは、ぜひ他の人に共有してください!
一部の情報は古い可能性があります





