読む前にひとつ。この記事は筆者個人の見解を示すものです。
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正直に言うと、私は焦りを感じている。モデルが強すぎて自分が置き換えられるかもしれない、というような理由ではない。頻繁にモデルサーバーが過負荷になり、利用枠がどんどん減っていく状況を見て、もしかすると新時代からの第一回の選抜はすでに始まっているのではないか、と気づいたからだ。
もし将来、人間の認知に AI という外骨格が装着されるのだとしたら、SOTA モデルを使える人と使えない人の差は、たった一つのモデルによって大きく引き離されてしまうのではないか。
そして私が焦っているのは、まさにここだ。SOTA モデルを使うために 100u かかる、という程度なら、おそらく多くの人は何とか払える、あるいは払う気になるだろう。だが、もし今の価格が補助後の価格にすぎないのだとしたら、その価格が 200u、400u になったとき、必ずしも自分の生活を改善してくれるとは限らないモデルのために、多くの人はそれほど高額な費用を払い、生活必需品として扱う気になれるだろうか。ここに第一の選抜がある。単純な金額だけで、SOTA モデルを使える人と、使えない人が分けられてしまう。
今はまだ AI ブームの主上昇波の段階と言えるはずで、この話をするのは少し早い気もする。ただ、このタイミングでそう考えてしまうのも、ある意味では右側の習慣なのかもしれない(
なぜ自分がこう考えるようになったのかと言えば、おそらく mythos がきっかけだ。私はそれがセキュリティ領域の一部で果たしている役割を見て、それがたぶん自分に刺さった。彼らは実のところ、coding という一領域だけで満足しているわけではないのだと気づかされた。
そしてその刺激によって、彼らが動画領域で行ってきた仕事や普及活動、作曲領域での試みを思い出した。実際、彼らはずっと前からコード領域だけに満足していたわけではない。では、ある産業が普及期からプラトー期に入ったとき、ユーザーにとっての利用コストは今のように低廉なままでいられるのだろうか。
たいした元手を持たない人間としては、時代に押されながら前へ手探りで進むことしかできない。正しいのか間違っているのかも分からない。それは確かに悲しいことなのかもしれない。とはいえ、新しい世界を前にした機会もまた、すべての人の前に等しく広げられている。もしかすると、これも時代からの贈り物の一つなのかもしれない。
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